ババ抜き先生の日記

寝る前に一言

いよいよほんとにおかしくなってきた政治家

こんにちは!
久々の投稿になります!
季節も夏真っ只中で暑い中、テレビをつければ連日東京オリンピック出場選手の熱い活躍を見ることかでき、まさにダブルでアツアツな時期ですが、一方で新型コロナウイルスの状況も深刻です。
この大変な時期の中のオリンピック開催の是非と選手の連日の活躍は全くの別問題です。当たり前ですが選手の方々に全く罪はありません。出場選手の活躍を最後の一秒までテレビの向こうから応援したいと思います。

さて今回は政治家の方々のお話です。政治家達の、もはや意味不明な言動を考えていきたいと思います。
特に今回は表現も荒くなっております。読み進める際はご注意下さい。
また、政治家と言っても全ての人に当てはまるわけではありませんし、そもそも全ての政治家の言動や行動を把握してるわけではありませんので、よくテレビに映る一部の政治家の印象と考えていただければと思います。


人間は失敗をする生き物です。失敗したことがない人はいません。ただし失敗から何かを学び、次に同じ失敗を繰り返さないように修正する力を持っています。
そのため、失敗をする人がバカなのではなく、同じ失敗を繰り返すことがバカだと思います。失敗から学ばず修正をしてないわけなので。

ただし、世の中には失敗をすることが許されない瞬間というものがあります。
100点満点を取る必要はないが、ただし赤点を取ることは許されない、みなさんも同じ経験をしたことはあると思います。
さて、今の政治家の行動と言動や方向性は赤点でしょうか。それとも合格点でしょうか。まあ答えは言わずもがな、ですね。
星の数ほどある意味不明な言動や行動の中でほんとうに一部だけですが見ていきましょう。

・「仮定の質問にはお答えできませんが〜」
未来のことは全て仮定の話です。
都合の悪い質問には答えられません。都合のいいことには〜をやっていこうと思います、〜を目指します、なんて仮定の話を好き放題話したりして、恥ずかしくないのかなと思います。あなた方は仮定の話はしないんじゃなかったんですか。仮定の話ができないなら黙ってろと思います。

・「〜は私の責任において行います」
政治家の責任とは何でしょう。まさか辞職することが責任を取ることだと思ってるのでしょうか。
上手くいったら自分の手柄、失敗したら静かに逃げる。これは責任を果たしたとは言いません。
仮に〜兆円規模の経済対策を行って失敗したら、〜兆円を自分の財産から損失を補填して一文無しになって初めて責任を取るってことじゃないでしょうか。当然政治家一人に〜兆円なんて財産はありませんので、その政策を実行した方全てから責任を取ってもらう必要があります。
私はこの政策に自信があります、自分の財産を投じてでもやりきる覚悟を持っております、事実失敗したらその損失は補填します、だから皆さんご支持をお願いします、と言われたら皆さんどうでしょう。それほどの覚悟があるのであれば、詳しく内容を聞きたいと思うし、相手を信じようという気持ちになりませんか。
税金を使用するということはそれほど重たいことなのです。ミスをしたら関わった全ての人が一文無しになるくらいの覚悟で行ってほしいものです。それが国民から選ばれた政治家の義務です。

・「いずれにしましても〜」
自分で勝手に話をまとめるなって思います。私達は個々の状況の知りたいのにも関わらず、彼らはこの言葉を使って答えてくれません。初めから話すつもりがないなら難しい言葉や伝わりづらい表現は使わず一言、「上手くいくか分かりませんし責任も取りませんが頑張ります」と話せばいいと思います。話しても話さなくてもどうせ信用を得られないという結果は変わりませんので。

次は現在のコロナウイルス含めた対応について考えてみたいと思います。

・要請なのに従わなきゃ罰則
緊急事態なのは十分理解しています。しかしコロナウイルスが流行してから約1年半です。流行してすぐであれば、法律や環境の整備が整っていないので大概は我慢できます。
要請というものはあくまでも要求を伝え、相手に検討してもらうことです。検討した結果、相手が拒否することは何も間違ってません。要請に従わなかったから罰則ということ自体が狂ってます。罰則というものは指示や命令に従わなかった場合に課せられるものです。しかし政府は「現在の法律上、指示や命令をすることはできない」と言います。この1年半ずっとこれを言ってます。
ハッキリ言います。政治家はこの1年半何してたんでしょうか。彼らの得意な理詰めで話すのであれば、
①罰則付けたいなら指示や命令をしてください。
②指示や命令ができないならできるように法律変えてください。
③法律変えられないなら、指示や命令ができないんでしょうから罰則付けないでください。

私達からの要請は従わないくせに、自分たちの要請は従ってもらう。じゃあ私達の要請に従わなかった場合あなた達も罰則受けてもらいますよ、となります。日々懸命に我慢してる飲食店の方々は、大げさでなく生きるか死ぬかの境目にいるはずです。支援金の遅延があるから早くして欲しいなど、こんな要請すらまだ聞き入れられてません。
本当に緊急事態って自覚があるなら、自分達の金出してでも対応しろって思います。

・緊急事態ってなんですか?
そもそも何度もコロコロ出したり締まったりするものなんですかね。そして、緊急事態じゃなければ平常時ですよね。なんで平常時なのに色々制限されるのでしょうか。行動を制限するなら制限するだけの根拠が欲しいですね。
何言ってるのか理解できない政治家が「危険ですから控えてください。でも緊急事態ではありません」と言う。
でも緊急事態じゃないなら平常時ですよね。平常時であれば行動を制限される必要はありません。制限してる方がおかしいのです。それなのにその矛盾に対して法律などの整備をして私達を納得させる根拠を提示しない。
危険な状況なのに平常時であると主張してる政治家も十分狂ってますが、今の政府の主張はもっと狂ってます。

「緊急事態ではありませんが(地域によっては緊急事態ですが)危険な状況なので私達の行動を制限します。でも制限したことによる損失は補償しません。なぜなら制限は要請であって指示や命令ではないからです。あくまでもお願いです。聞いても聞かなくても構いません。でもお願い聞いてくれなきゃ罰は受けてもらいます」

こんな意味の分からないことをテレビの前で全世界に向けて話してるのが今の政治家です。
大変恥ずかしい話ですが、一つ幸いなのは私達のリーダーは人にものを伝える力が全く無いようなので逆に良かったなと思います。

さて、これはあくまでも一部です。数え上げればきりがないくらい出てきますが、このくらいにしておきましょう。

言葉が全てではありませんが、自分考えを話すこと、伝えることで国の方向性を決めるような立場の方にはせめて言葉の持つ力を十分理解していただき、選ばれた責任に見合う発言をしてもらいたいものです。
それすらできない方々を信用することもできませんし、これ以上の期待はできません。

政治家は、無言実行でも有言不実行でもいけません。
「有言実行」のみが求められます。しかも過程の評価なんて必要ありません。結果のみが評価されるべきです。
信用が無くなった、昨今で言えば新型ウイルスの感染が大きく広がった、この結果は皆さんが待ちに待った待望の期待通りの結果でしょうか。

その答えは選挙で示してやりましょう。

長々と読んでいただきありがとうございました!
ではまた次回☆

常識で考えると矛盾だらけ

こんにちは!
最近の国会議員をニュースなどで見てると、隣の中学生の方がよほどしっかりしてるなと感じてしまう今日この頃です。

今日は政治家について話していきたいと思います。
毎度ですがかなりとがっております。不快に思われる方もいると思いますので、あくまでも一つの考えとして捉えてもらえると助かります。

若い時、たくさん勉強して、プライドを捨てて下げたくない頭を下げて、小学生でも分かるような嘘をついて、守る気も果たす気もない約束をテレビの前で平然と話す。そして最後はタイミングよく病気になって入院する。そういう大人になるためにこれまで努力してきたんですね。ご苦労様です。若い頃の努力は相当だと思います。
しかし、そんな大人達が作り出す「理想の国」で子供達がまっすぐ健やかに育つわけないでしょ、と改めて感じてしまいます。手本となる人がこんな状態なのに、後ろでその背中を見てる子供達が正しく育つわけがありません。ドイツ語を分からない人がドイツ語を教えられるわけないのと同じです。
この際堂々と日本政府として子供達の学習指導要領に、バレない嘘のつき方や、約束の破り方、都合のいい病気のかかり方などを道徳の授業などに取り入れたらいいと思ってしまいます。政治家の人たちは最高のお手本だと思います。

今の子供達にとって本当に学ぶべきことは「努力の大切さ」ではなく「努力してるやつの影に隠れて甘い汁を吸う方法」であり、「ごめんなさいと謝ることの大切さ」ではなく「いかにごめんなさいを言わずに言い訳を続ける方法」ですね。ついでにもう一つ言えば、「健康でいる方法」ではなく「タイミングよく病気にかかる方法」も学ぶべきだと思います。


政治家の皆さんはよく、政治は結果責任である、と言われます。私の解釈が間違ってなければ、これまで何をやってきたかなどの過程ではなく結果に責任を持つべきという意味だと思います。
では責任を持つということはどういうことなのでしょうか。
これは責任の所在は自分達にある訳で、仮に納得のいく結果にならなかった場合は自分達が責任を取るということではないでしょうか。
では責任を取るということはどういうことなのでしょうか。
これは自分達の力不足と失敗だったということを認めて、自分達よりも力のある人達にその責任を託すということだと思います。

そんな力不足だった方々が口を揃えて言う呪文があります。
「責任を重く受け止めてより一層の努力をしていくつもりであります」
責任を重く受け止める過程も、より一層の努力をしていく過程も興味はないのです。
唯一の事実として、今日までのあなた達の行動は結果が伴わなかったということ。この事実だけがあればいいのです。
それが結果責任です。
結果が伴わなかったなら後の人に責任を託して欲しいのです。

失敗するなと言ってるわけではありません。人間なので失敗なんて毎日します。ただ、政治家の人達は「結果責任」という言葉で勝手に自身を追い込み、失敗をしたときの逃げ道を自身で閉ざしてしまっています。
失敗したことを非難するわけではなく、責任を取らないことを非難しているのです。

初めから責任を取る気がないなら、堂々と結果よりも過程を評価してもらいたいと言えばいいのです。
評価の良い悪いは別にして、これで嘘は言ってないことになります。
一応誤解のないように言わせてもらえれば、もちろん責任のとり方は辞めることだけではありません。ただし、国の方向性を左右するような大きな権限を持つ人が「結果に責任を持つ」と話した後に結果が伴わなかった際、「努力が足りなかったので次はこれまで以上に頑張ります」という責任のとり方では残念ながら責任を取ったとは言えません。それなら隣に住んでる中学生でも私でもできます。
結果責任ですと大声で叫び、責任のとり方について事前に聞けば、「仮定の話なのでお答えできません」失敗の原因を聞けば「現在調査中です」
ほとぼりが冷めた頃に、「より一層の努力して参ります」
言葉は悪いですが、それならアホでもできます。国家運営ってとてつもなく簡単みたいですね。国の借金も多いみたいですので、人件費削減のためにアルバイトでやりくりしてもいいのかもしれません。

まだまだたくさんありますが、今日はこの辺にしておきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ではまた次回!

自分を鏡でよく見なさい!

こんにちは!

今回も相変わらず偏ってます(笑)
いつも通り一つの考え方として捉えていただければと思います!

若い時、彼女が欲しい、彼氏が欲しいという思いは誰しもが思ったと思います。もちろん私も思ってました。
そして、どうせならかわいい彼女を、かっこいい彼氏を、と理想が高くなることも皆さん経験があると思います。もちろん私もあります。

男女それぞれの視点で考えていこうと思います。

・男の視点
当然ですが人それぞれ好みは違います。スリムな女性、ぽっちゃりな女性、色が白い方、健康的な肌の色の方、胸が大きい方、小さい方、好みは本当に細かくたくさんあります。

・女性の視点
こちらも人それぞれ好みは違います。マッチョな男性、スリムな男性、ぽっちゃりな男性、ワイルドな雰囲気、知的な雰囲気、他にも山ほどあります。

あくまでもそれぞれの視点から、好みの異性のタイプの一例を上げてみましたが、どうせならより自分の理想に近い異性とお付き合いしたいと思うことは何も悪いことではないと思います。

たまにこのような方がいます。
例えば自分に好意を持ってくれた方に対して、その相手を傷つけるような言動を発したりする方。
または本人のいないところでその本人の外見に対して批判をする方。

そんな方に一言言いたいと思うんです。
「人のこと言う前に自分を鏡で見てから言ったら?」と。

自分は好きなだけ食べて飲んでプックリ膨れた体型なのに、異性の外見に対して厳しく言う人。ちなみにこれは男性も女性も両方いると思います。
ただ、私の勝手な印象ですが、これは男性が女性に対して言うケースが多いような気がします。

何で男性は好きなことしてだらしない体型でもいいのに、女性に対してはもっと女性らしい体型を望むのでしょうか。
理想を持つことは構いません。しかし、その理想を目の前の女性に当てはめ、理想から外れてるから否定する。でも自分はお世辞にもきれいな体型ではない。こんなことが結構多いような気がします。
「俺かわいい子しか興味ないから」ってボサボサ頭のだらしない男性が大きな声で話してると、笑いそうになってしまいます。

私は男性なので、女性の気持ちや苦労は分からないところが多いですが、さすがにこれに関しては女性の気持ちを想像することができます。

人にはそれぞれ持って生まれた外見があります。目鼻立ちが整っていて、身長が高いなど、どうしても生まれつき外見に優劣はついてしまいます。そしてこれはそう簡単に変えられるわけではありません。

しかし、清潔感や体型は日頃の生活でいくらでも変えられます。

スリムな体型を維持する女性は私達男性が見てないところでちゃんと努力してるはずです。自身を高める努力をちゃんとしてるからこそ、その努力に見合う結果が外見に表れ、その外見に見合う男性とお付き合いできるわけです。

何も努力してない男性には、そのような努力をしている皆さんの理想に近い女性は近づいてきません。

全く同じことが女性にも言えると思います。
イケメンで、高収入で、女性に対して気遣いの上手な方は、日々の努力を怠らず自分を高めてる女性に興味を持ちます。

そのような努力をしてない女性にはそんな男性は近づきません。白馬に乗った王子様はきれいなドレスが似合う女性の元にのみ現れます。


昨今の晩婚化や、付き合ってない男女の増加というのは、わずらわしい関係を持つより一人の方が気楽っていう考えからも来てると思いますが、もしかしたら、自身を高める努力を男女共に怠った方々が、自分の格を越えて理想を追い求め過ぎているのが原因なのかもしれません。

急がば回れ、異性口説き落とすには、まずは自分を高める努力をすることが一番の近道なのかもしれません。

今回も最後までお付き合い頂きありがとうございます。

ではまた次回!

やめること、逃げること

こんにちは!

今回は一見するとマイナスな表現に聞こえる、「やめる」「逃げる」等の表現、行為について考えてみたいと思います。

相変わらず偏ってますので一つの考え方として捉えていただければと思います。


このような言葉を聞いて皆さんはどう思うでしょうか。通常はマイナスのイメージが強いと思います。
ではなぜマイナスなイメージなのでしょうか。

部活動や仕事を「やめる」
今やるべきことから「逃げる」
世代によっては根性なしの行動だ、とか情けないとか様々ご意見があると思います。そう言いたい気持ち、分からなくはないですが私は賛成することはできません。

やめること、逃げることは自分を守るための防御方法です。自分を守ることを情けない、根性なしだと言われてしまう世の中は実は非常に危険です。

例えば皆さんは、目の前でナイフを振り回してる人に対してどういう行動をとるでしょう。専門の知識を持っていたり、相手を制圧できる自信がある方は立ち向かう場合もあるでしょう。
しかしほとんどの人はナイフを振り回してる人に近づかないと思います。ナイフを振り回して周りに恐怖を与えてる人に対して自分の身を守るためにその場から立ち去ったり、助けを呼んだりするはずです。

そんなとき、外野の野次馬から「逃げるなよ、根性なし」とか、「情けないな、なんとかしろ」と言われたらどうでしょう。当然いい気分はしません。

人はそれぞれ持って生まれた才能と、生きてきた中で得た力があります。当然ですが人間が10人集まれば才能もこれまでに得た力も10通りあります。同じ方は誰一人いません。
それを自分のものさしで「情けない」などと言ってはいけません。

ある人にとっては大した問題じゃなくても、別な人にとっては自分の身を守らなければいけないくらい辛い状況だったりすることはよくあることです。

虫が苦手な人にとって、蝶やカマキリを素手で触ることは拷問です。しかし特に苦手じゃない人にとっては触ることなんか、なんともないと思います。

自分の価値観や自分の生きてきた中で築いた常識の基準で相手の行動を否定することは、自分の考えの浅さや狭さを周りに教えてるようなものだと思います。

なぜ相手はその事柄から逃げようとしてるのか、やめようとしてるのかを相手の立場にたって考えてみる。もし「やめる」「逃げる」選択肢をとってほしくないのなら、その選択肢をとらないようにするにはどうすればいいのかを考えてあげる、そのワンクッションがあってもいいのかな、と思います。

その上で解決できなかった、その選択肢をとるしか方法がないという結論になったら、それは「やめる」「逃げる」本人の自己責任です。それでどのような結果になっても自分の責任で解決してもらうしかありません。厳しい言い方ですが、どうぞご勝手にしてください、と送り出すしかありません。

しかし、いずれにしてもその人が「根性なし」とはなりません。せいぜい「適性がなかった」という程度です。否定する理由はありません。


では全く逆の視点から考えてみたいと思います。

その視点とは、今本当に辛い環境でその場から逃げ出したいと思っている方々の視点です。

私自身はそのような苦しみをほぼ経験したことがなく、あくまでも周りの知人から相談を受けた経験からの話になりますのでこれが絶対に正解だと言い切ることはできません。しかし、その中で一つの考え方として捉えてもらえると幸いです。

まず苦しい状況から抜け出す手段はただ一つ、その状況から逃げることだけです。それでこの問題は解決します。というかそれ以外でこの問題は解決しません。
さらに、その苦しみを誰かに聞いてもらったり相談したりすること、これはほぼ無意味と言っていいと思います。そもそも仮に相談する相手が過去に辛い状況にいたことがなかった場合、どういうスタンスで話を聞いたらいいか、アドバイスを送ったらいいのか、きっと悩むと思います。適当なことは言えないですし、分かってるふりもできない。時間だけが過ぎていくだけというのが現実です。

怒涛のように厳しいことを言いましたが、結局何が言いたいのかと言うと、
「全て自分の責任で選択するしかない」ということです。

ではどうやって選択していけばいいのでしょうか。
ものすごくざっくりと答えを言うとすれば、
「絶対に誰のせいにもしてはいけない」
ということです。

辛いなら逃げていいと思います。
苦しいならやめてもいいと思います。
体や心を壊してまで続けるのものはこの世には存在しません。心身の健康あっての日々の生活です。

しかし、逃げたあとで、またはやめたあとで自分に降りかかるマイナスな状況に対して誰かのせいにしてはいけません。全て自分の責任です。

だからこそ、よく考えてほしいと思います。
今自分が進もうとしてる選択肢は本当に正しいのかということを。
今は確かに苦しいかもしれません。しかし、もし目の前の苦しさから逃げたあともっと大きな苦しみが降りかかってることはないだろうか、と。
苦しさで心が追い込まれてるので、正しい判断ができなくなってるかもしれません。でも、選択をする前にもう一度だけしっかりと考えてもらいたいです。
何度も言いますが、やめることや逃げることは何も恥ではありません。何度でもやり直せばいいだけです。根性なしなんて言う方は無視しておけばいいのです。

ただし、逃げたあとにもっと大きな苦しみがくることがほぼ分かってるのであれば、わざわざ今より大きな苦しみに飛び込む必要はありません。
損得で考えたらいいと思います。

今の苦しみをとるか、そのあとに来るもっと大きな苦しみをとるか。答えは決まってます。

なぜ大した経験もない私がこんなことを何度も言うのかというと、私は転職を経験しています。
環境が苦しくてやめたわけではないのですが、自分には合わないなという安易な考えで退職した結果、その後の転職は大変苦労することになりました。

その後の苦しみのことを全く考えないままに目先のことを決めた結果、後悔をした経験があります。

仕事でも部活でもその他何でも同じことが言えると思います。

逃げることは何も悪くないから、何度でも逃げていいと思います。しかし、逃げる前に本当にそれでいいのかと自分に問いただすこと、そして決めたことには自分で責任を持つこと。誰のせいでもなく全て自分の責任だということを胸に刻むこと。

簡単そうですがなかなか言葉通りにうまくできないですよね。。

皆さんはどのようにお考えでしょうか。
色々な意見があると思います。皆さんがどのように考えてるか機会があれば聞いてみたいなと思います。

ではまた☆

男女平等の線引き

こんにちは!

久々に書いてます!本日は男女平等について書いていこうと思います。見る人によっては不快に感じる点があるかもしれませんが、あくまでも個人の主観になりますのでご理解いただければと思います。


テレビでも最近は男女共同参画など、ちょっとした騒ぎになってます。しかし、私は男女共同参画と男女平等というものは全く別のもので分けて考えていかないといけないと思ってます。決してイコールではありません。

ちなみに私は男女共同参画に対しては全面的に大賛成です。もっと早くこの動きが進めばいいと思います。
男性と女性にはそれぞれ身体や考え方に性別で分けることができるような違いがあります。当然男女それぞれに得意分野、不得意分野があります。お互いの不得意分野を補って、より良い仕組みを作り上げるためには男性のみ、女性のみよりも男女が力を合わせた方がより良い結果になることは目に見えてると思います。

しかし、今回お話しする男女平等については少々疑問に思う部分があります。

一体世の中が考える男女平等とは一体どこを基準にしてるのでしょうか。
私は男なので、どうしても男性目線になってしまいます。なるべく中立の感覚で話そうと思いますが、もし不快に感じてしまう場合は申し訳ありません。

少し前にも話しましたが男性と女性には身体にも考え方にも結構はっきりとした違いがあります。

簡単にそれぞれの特徴を挙げてみたいと思います。あくまでも一般的な違いと考えていただきたいです。


・体格、体力や筋力
男性>女性
・内面的な心の広さ、包容力
女性>男性
・物事を広く捉えて面で考える
男性>女性
・相手を労り相手の立場で物を考える
女性>男性
・物事を狭く深く捉えて点で考える
女性>男性
・見栄えのよい派手な作業
男性>女性
・表には見えない地味な作業
女性>男性
・繊細で細かな作業
女性>男性
・0から物や仕組みを作り上げる作業
男性>女性
・出来上がった物や仕組みを維持し支える作業
女性>男性

不快に感じる方、本当に申し訳ありません。。あくまでも私の個人的な意見になりますのでご理解ください。。

他にも山ほどあります。もちろん一般的な違いであり、例外はあります。

さて、私はこれを見て考えてしまいます。

ある意味正反対の感覚を持ってる男女に平等って言葉は当てはまるのでしょうか。

批判を恐れず言わせてもらうなら男女平等というものは無理です。
しかしこれは男性が女性より上である、またはその逆であるということではありません。平等でないイコールどちらかが上であるという感覚がそもそも間違ってると思います。
あえて強引に名前をつけるなら、私は「男女共存」こそがあるべき姿だと思います。
男女が本当に平等であるべきなのは、発言する権利と表現する権利、選択する権利、あとは当たり前ですが生きる権利です。これらは男性と女性に差があってはいけません。生まれた瞬間から死ぬまで全員が平等に持つべき権利です。

逆にこれ以外は男女は平等ではいけないと思います。

スポーツを例に例えてみましょう。
何で同じ競技を男性と女性で分けてるのでしょうか。混合◯◯など一部の競技は男女合わせて行うものもありますがほぼ全ての競技が男女別に行われています。
男女平等なら男女合わせて行うのが当然ですよね。だって男女の差別なく平等なんですから。当然結果は体格や体力に勝る男性が有利になると思います。しかし、男女平等を主張するなら男女で分けてはいけません。
すると不利な立場からは、不公平だ、不平等だという声が出てきます。
男女の差別なく平等に事を進めると、男女不平等な結果になるという不思議な事が起こります。

当たり前ですよね。私も不平等だと思います。あまりにも女性に不利過ぎると思います。

この話で何が言いたいのかというと、そもそも男女は平等に扱ってはいけないということなのです。それぞれに得意、不得意分野がある中で全てを同じカテゴリーでまとめることがどれだけ不平等なことになるかということです。

もう一つ例を挙げましょう。
なぜ日本の女性の管理職の数は増えないのでしょうか。
日本の女性はある程度の年齢で結婚をし、結婚を機に勤めてた会社を退職し、出産を経て、子育てをしながら家庭を守るという文化を続けてきました。
最近は変わってきましたが、その文化は根強く残っています。当然その文化は会社にも根付いています。

では、仮に会社が大きく仕組みを変えて女性の管理職の比率を多くしたとしましょう。
管理職の方には大きな権限とともに大きな責任を背負うことになります。
しかし結婚、退社、出産という文化が根強く残っている日本で、退社を考えてる人に大きな権限と責任を背負わせる事ができるでしょうか。
更に言えば、日々子育てで忙しい人に対して大きな権限と責任を背負わせる事ができるでしょうか。
本当に男女平等と主張するなら、任せられて、同じお金を貰ってる以上はやらなきゃいけません。例えば子育てが忙しいのでということは理由にはなりません。人それぞれ忙しい理由があります。女性特有の理由でできません、は通りません。

しかし、実際は「事情を知っているはずなのに不当に仕事や責任を押し付けられてる」などの不満が出でしまっている状況です。

もちろん全ての女性がそうだと言っているわけではありません。歯を食いしばって毎日頑張っている方もいます。
しかし、会社はそういう不満が出て、会社の信用が落ちるようなリスクをとってまで、女性を管理職に登用はしないと思います。信用が落ちたら会社の存続に関わります。他の従業員の生活を危険にさらすようなことはしません。というかできません。
結果女性の管理職の数は増えないのではないでしょうか。


言葉遣いに関しても話しておきましょう。
セクハラという言葉が流行った時期があります。

主に男性から女性に対して、外見や女性の性に対して一線を越える発言や行為のことを言いますが、そもそも男女平等ならセクハラという言葉自体存在してはいけません。男性は男性同士でそういう話を当たり前にします。女性も女性同士でそういう話をしてるかも知れません。ではなぜ、男性から女性にそういう話をすることがいけないのでしょうか。男女平等なはずです。同性に話してる話題を異性にすることがなぜダメなのでしょうか。

私が思うに、このセクハラという言葉は女性が男性から身を守るために作り出したものだろうと思います。
これってつまり、自分達(女性)はあなた達(男性)とは違うからその分の配慮をしてくださいってことじゃないでしょうか。女性の方から男性と平等に扱わないでくださいっていう意思表示をしてるような気がします。これでは男女平等にはなりません。

都合のいいときは男女平等ではないと意思表示しておきながら、都合が悪くなってくると性別で不平等を訴えるのは少々疑問が湧いてしまいます。

これは私の個人的な意見になりますが、人間を男女という枠て区別したとき、確実に女性の方が強いです。出産を乗り越えられる強さ、相手に寄り添える優しさ、何かを支え守り抜く強さ、これは男性はかないません。そして何より男性は女性に弱いです。
唯一勝ってる体力や筋力だって女性には振るえません。
もし、女性に暴力を振るっている男性がいたら、それはゴミ以下の存在です。

その上で再度言わせていただきます。
男女平等というものはあり得ません。元々違うのです。不平等であることがある当たり前なのてす。

だから不平等であることをお互いに認めて共存するべきです。無理に平等を主張する必要はありません。

不平等だと認めれば、お互いに自分達が活躍できるタイミングが見えてきます。見栄を張る必要もないので、苦手なタイミングは相手に堂々と任せられるし、それに負い目も感じません。
男性も女性もお互いに、出るべき所は出る、退くべき所は退くという意識を持てば、今よりももっと過ごしやすい社会ができるのではないでしょうか。


またまた偏ったことを書いてしまいました。。
改めて不快に感じてしまった方、申し訳ありません。。


今度はもっとやわらかい話題について書こうかななんて考えてます!


ではまた☆

選挙ってすごく大事

こんばんは!

今回は国会議員について書きたいと思います。
専門的な知識はなく、主観と偏見が混ざっておりますがどうぞお付き合い頂ければと思います。

政治家の不祥事、不適切な行動、浮き世離れした感覚、その他もろもろ私達一般人の常識では測れないような事柄が世間を賑わせています。言葉の通り、私達の常識では考えられないことを平然とやってのける彼ら、彼女らは一体どんな人なのでしょう。


まず政治家は、政治家である前に一人の人間です。人間として生まれてきた以上、欲があり、誘惑に弱く、自分の身を守ることを最優先に考えると思います。
きっと私達も同じです。
私達一般人が好きに欲求を満たし、誘惑に負けて、自分の保身を優先させるのに政治家はそれをやってはいけないというのはちょっと無茶な話です。やり方を間違えなければ私個人としてはそれが特別おかしいとは思いません。

ではやり方を間違うとはどういうことでしょう。
これはやっぱり法律に反することです。私達も法律に反してまで自身の欲求を満たしていたら、それは当然罰を受けることになります。

では次に、なぜ政治家はそんなにひどい言われ方をするのかについて考えてみようと思います。
これはただ一つ、
「国の税金でお給料をもらう国民の代表者だから」です。

私達が支払った税金からお給料をもらい、残ったお金をどのように使っていくのか、どういう方向に日本という国を発展させていけばいいのか、を私達国民全員がどこか一つの会議室に集まって決めることは無理なので、私達が選挙という仕組みで選んだ人を、私達の代表者として会議室に集まってもらうのです。
当然私達に選んでもらった代表者なので、私達一人一人が本来持っている権利を政治家は代表者として背負います。何万人、何十万人分の権利を背負うわけです。
当然権利も背負いますが、それに伴う責任も背負うことになります。権利も責任の量も、本来であれば人間一人が背負う量ではありません。確実に潰されてしまいます。
なので、選ばれた代表者(政治家)達は自身の主義主張が似ている者同士で協力し合って、それぞれが背負う権利と責任を果たして行きましょう、と集まった集団がいわゆる「~党」というものです。一人では背負った権利や責任を果たすような力はないが、みんなで協力すれば大きな力でそれぞれが背負う責任に応えることができるということです。

お祭りで、とんでもなく巨大なお神輿をたくさんの人が支えて動かしている姿を想像してもらえると分かると思います。


さて、そんな「本来人間一人が背負うべきではない権利と責任を背負っている者」だからこそ、行動一つが私達の代表者としての行動となります。
人間一人としての行動ではなく、皆さんの思いに沿った行動と見なされます。

だから政治家の方達の行動は私達一般人の行動よりも当然注目されますし、私達の代表に相応しい行動が求められるわけです。当たり前ですが、もちろん行動だけでなく、言動もです。
相応しくないなら、全力で責められてしまいます。

皆さんの代表として相応しくないですよね?と。


ではそんな政治家は実際のところ、私達の代表者として相応しいのでしょうか。
結論から言いますと、今の政治家はほぼ全ての人が代表者として相応しいことをしています。ただし、
「今の日本の選挙制度や政治家を取り巻く法律の元では」という言葉が先につきます。

政治家は代表者として選ばれるために、60才70才になっても選挙の度に街中で大声を張り上げ、私達に向けて深々と頭を下げます。自分の半分も生きていない人に頭を下げます。どうか私に投票してください、あなた達の代表者にしてください、と。

しかし、実際はその「投票する1票」を持ってる方の半分以上が投票に行ってません。もちろん選挙ごとに投票率は変わってきます。関心の高い選挙は半分以上の人が投票に行ったりもします。

では代表者を目指して大声を張り上げ、年を取ってからも頭を下げ続けてる人は、一体誰の代表者なのでしょうか。頭を下げてる先である私達の半分以上が投票にも行ってないのに。

もちろん法律上は、私達が投票しようとしないと、決められたルールに従い、投票した人達と投票してない人達の両方の代表者になります。

法律上は地域の私達全員の代表者になります。

しかし実際は「投票してくれた方達の代表者」になっています。もっと核心に触れる言い方をすれば、
①自分を代表者に選んでくれた人と、
②代表者になれるようにサポートしてくれた人と、
③代表者になってからもサポートし続けてくれる人

の代表者になっています。
ちなみに、
①は純粋な有権者
②は後援会や所属団体
③は後援会や所属団体に加えて、企業や業界団体
になることが多いと思われます。

当然と言えば当然ですよね。
自分のより身近なところで支えてくれたり、助けてくれたり、協力してくれた人達の方が恩もありますし、その人達に恩返ししたいと思う気持ちが湧くのは人間として当たり前だと思います。

だから、政治家は自分のことをサポートしてくれてる特定の人達には融通を利かせるのです。

ここまで聞いて、政治家が人の道から外れたことをやっているとは正直私は思いません。人として筋を通して、恩をしっかり恩で返しています。

では、政治家が本当に私達全員の真の代表者になるためにはどうすればいいのか。


ここで、今回の題名にもあります「選挙」が重要になります。

これは私の想像になってしまいますが、政治家を目指す方々はテレビや街中では、「皆さんの清き一票をぜひ私にお願いします」と頭を下げますが、実際はそのほとんどがどうせ投票にも来ないんでしょって思ってると思います。というか、過去の同じような選挙でこのくらいの人しか投票しなかった、などのデータはしっかり確実に分析されてます。なので、私達一般人の投票はあまりアテにはしてません。もちろん全員ではありません。本当に心の底から私達の一票が欲しくて頭を下げてる方もいると思います。

しかし、半分以上が投票にも行かない選挙がある現状では街中を歩いてる私達の一票よりも、特定の応援してくれる人達や組織の一票の方が大切になります。特定の応援してくれる人達の一票を得られれば、むしろどこに投票するか分からない私達なんて、投票して欲しくないとすら思ってるかもせれません。私達の票の動き次第では代表者になれないことだってありますから。

だって「半分以上の人ががどこに投票するか分からないし、もはや投票にも行ってない」んですから。


この、半分以上の日頃投票してない人がしっかり政治に関心をもって、真剣に代表者を選べば(投票すれば)、代表者を目指す人達は特定の人達の代表者ではなくなります。片方に肩入れしてたら片方からクレームがつきますから。

本当の意味で私達の真の代表者になります。
晴れて政治家(代表者)になったら、私達には協力してくれた恩があるわけです。
その恩を仇で返したら、次は自分を代表者に選んでくれないかもしれない。だから皆さんの意見はちゃんと聞きます。

となるわけです。


私達が政治に関心を持たないから、政治家は
「どうせうちらに興味ないんでしょ、ならうちらはうちら(政治家とその周りの業界や企業)でうまくやるからそっちはそっち(国民)で好きにやって」

となります。

結果、政治家は私達国民の方に目を向けなくなるし、国民も政治家を信じず、政治を疑い、興味を無くす、という最悪の図式が出来上がります。政治家と国民がお互い相手に対して目を向けなくなれば、お互いの感覚が徐々にずれていきます。私達が今何が必要なのか、何を考えているかが政治家は分からなくなってしまいます。


これが今の日本です。あくまでも私個人の感想です。


政治家が意識を変えるか、私達国民が意識を変えるか。
なんだか、にわとりが先か、卵が先かという話に似てますが、これは答は決まってます。

私達国民が意識を変えるのが先です。政治家が私達国民を動かしているわけではありません。私達国民が政治家を自分達の代表者として選び、自分達の代わりに動いてもらってるだけです。

政治家は数年毎に大きな入れ替えの選挙を行います。つまりその入れ替え選挙毎に政治の世界は一旦リセットのようなものがかかります。
すごい変な話ですが、我々がビックリするくらい意識が変わって、「今の政治家は信じられん」と本気を出せば、今の政治家全員を落選させることも出来ます。
だって半分以上が投票にすら行ってないんですから。この半分以上の人達が本気を出して政治に関心を持って投票に行けば、今の政治家は嫌でも考え方を変えざるを得ません。自分の地位が脅かされるわけなので。


言い方は大変汚いですが今現在、フカフカの椅子でふんぞり返ってる政治家の人達は私達が選んだ代表者です。それはつまり、私達が「フカフカの椅子でふんぞり返ってていいですよー」と認めたことと同じです。投票にすら行ってない人は「すべてあなた達の言う通りに従います。何をしてても構いません」という意思表示をしてることと変わりません。

そんな代表者を選んだのは私達です。
そんな私達は政治家の言動や行動にケチをつける資格があるのでしょうか。自分達で選んでおきながら、都合が悪くなると「あの人のこれが気に入らない、許せない」と言うのは、まるで子供が駄々をこねていることと同じです。


私達の清き一票が政治家の出処進退を握っていることを改めて今の政治家の人達に分かってもらうためにはSMSやメディアでの発信などでは響きません。
「あなた達のクビを握ってるのは私達ですよ?」ということをしっかりアピールする唯一の場は選挙での投票です。

いかに選挙というものが重要なのかが少しでも伝われば幸いです。


今回はめちゃくちゃ堅いことを書いてしまいました。
すごく偏ってると思います。あくまでも参考程度に捉えてもらえれば嬉しいです。

ではまた次回☆

人付き合いのコツ

こんにちは!

前回は相手を納得させる話し方について書きましたが、今回は話し方も含めて上手な人付き合いのコツとでも言いましょうか、そのようなことを書きたいと思います。

前回同様、あくまでも経験に基づく個人的な感覚になりますので、こんな人もいるんだな程度に捉えてもらえると助かります。


人には向き不向きがあり、コミュニケーションが得意ではない方、人見知りが激しい方、そもそも人付き合いが苦手な方など、様々いるかと思います。
話し方について書いた時にもお話ししましたが、これはもはや生まれ持った性格や才能の部分が多いと思います。
人付き合いが苦手な方は基本的にどんなに訓練しても上手にはなりません。

しかし、日常生きていく上で他人を頼らず、他人と接することなく自分一人で全てをこなすことはできません。
どうせ接するなら、この人変な人だなぁと思われて敬遠されるよりも、可愛がられた方がコミュニケーションも気楽にとれますし、人付き合いも楽になると思います。
ここが大事なところです。

別に人付き合いを得意分野にしようと考える訳ではなく、より気楽に、簡単にとれるようになるため、と考えることが大切です。この発想の転換を行えるかどうかで大きく変わると思います。

人付き合いが得意な人は、何も意識しなくても生まれつき人付き合いが得意であり、コミュニケーションをとることを苦痛だと思ってません。


ではどうすればいいのか。
今回もいくつかありますので先に項目を挙げて、その後説明をしたいと思います。

ただし今回は、「特に知識は必要ありません」とは言い切れません。。何より人付き合いは、プレゼンや取引先との商談のようないわゆる「一発勝負」ではなく、相手との関係性を時間をかけて積み上げていくことです。これにはどうしても一定の時間と本人の努力がどうしても必要になってきます。しかし一度その努力を行えば、だいたいの方と良好な関係を気づけると思います。何より一度良好な関係を築いてしまえば、こちらが相手との距離感を好きなようにとることができます。仕事だけの関係にしておこう、この人とはもっと近づいていこう、など自由自在です。しかもその際相手に嫌な顔をされることはありません。

この努力を時間の無駄(非効率的)だと思うか、生涯の財産(効率的)だと思うかは、それぞれの感覚にお任せしたいと思います。


ではさっそくまいります。

①相手との会話は相づちを打つこと。

②質問には質問で返すこと。

③「ありがとうございます」と「ごめんなさい」を口ぐせにする事。

④趣味をたくさん持つこと。

以上です。

④以外は基本相手との会話でのことになります。
なぜなら人付き合いの90%は会話だからです。


では説明をしたいと思います。

①相手は自分の時間を割いてこちらに話をしてくれています。相手が年上でも年下でも、同性でも異性でも変わりません。仮に相手の話がどうでもいい内容であっても相づちを打つことで「あなたの話には興味があります」という意思表示になります。
自分の話に興味を持ってくれない人と、これからも話をしたいとは思わないでしょう。逆に興味を持ってくれる人ならばどうでしょうか。
話し上手よりも聞き上手な人がモテるのはこれが理由です。

②も同じです。質問するということは、相手の話をちゃんと受け取ってその中で疑問が沸いてきた訳です。
「あなたのお話ちゃんと受け取りました、だけど分からないところがあったのでもっと詳しく教えてくれませんか?」と言われたら悪い気はしないでしょう。相手の話に興味を持ってる意思表示です。

③はもはや、人として当たり前のことになってしまいます。自分に対して時間を割いてくれた相手へのお礼、間違えてしまった時の謝罪、その他挨拶や返事は人付き合い以前に常識やマナーとして心得ていなければいけません。

そして④。ここが今回の肝であり、もっともハードルが高く、実践には多少の努力が必要になります。しかし、この④を実践する前と後では劇的に人付き合いの幅が変わります。

「趣味をたくさん持つこと」と書きましたが、趣味までいかなくても構いません。かじったことがあります程度でいいです。むしろその方がいいです。

少し脱線しますが、参考までに私の趣味はドライブです。これが本命の趣味です。
その他で言えば、アニメ、ゲーム、麻雀、パチンコ、競馬、水泳、登山、キャンプ、将棋、スノーボード、ここら辺はそれなりの知識と経験値があります。
この他、相撲やゴルフ、野球、サッカーなどのある程度有名なスポーツ、政治や経済、小説などの書籍の情報に関しては得意な人と話が合わせられる程度、
また、現在34歳ですが80年後半から90年代ソングは大好物です。小室サウンドを崇拝しています(笑)

他にも挙げたらキリがありませんが、インドア、アウトドア、世代の古い新しいを問わず広く抑えていると自負してます。

これだけ広い窓があれば、大概は相手の趣味や得意分野と噛み合います。その相手の得意分野の話を①、②で掘り下げます。

そのうちに相手との距離がどんどん近くなっていきます。日常の③の礼儀を心掛け、相手との会話を①、②で掘り下げていけば、気づけば人間関係はとても楽なものになってしまいます。

ただし、これにはどうしても時間がかかります。④に関しては知識ゼロからスタートするものもあると思いますし、興味のないものの知識を得ることは、時に苦痛に感じたり、「こんなことやる意味ある?」という疑問が出てくるかもしれません。
そして、仮に知識を得ても、それを使って相手の話を深掘りしても一日や二日で関係が深くなる訳ではありません。時間をかけて少しずつ築いていくものです。

ですが、このテクニックはこの瞬間、決まった相手だけを対象とするものではなく、自分以外のこれから死ぬまで関わる全ての相手に効果的な技です。いわば一生物の技術が身に付くようなものです。


人付き合いが苦手な方は、どうせ苦手だからと諦めて交遊関係を狭めるよりも、苦手だからこそ気楽に付き合える適度な距離を自分で決められる方がはるかに有意義だと思います。


皆さんはどのように考えるのでしょうか。
ぜひ一度意見を伺いたいものです。


今回も長々とお付き合い頂きありがとうございました!

ではまた次回☆