ババ抜き先生の日記

寝る前に一言

男女平等の線引き

こんにちは!

久々に書いてます!本日は男女平等について書いていこうと思います。見る人によっては不快に感じる点があるかもしれませんが、あくまでも個人の主観になりますのでご理解いただければと思います。


テレビでも最近は男女共同参画など、ちょっとした騒ぎになってます。しかし、私は男女共同参画と男女平等というものは全く別のもので分けて考えていかないといけないと思ってます。決してイコールではありません。

ちなみに私は男女共同参画に対しては全面的に大賛成です。もっと早くこの動きが進めばいいと思います。
男性と女性にはそれぞれ身体や考え方に性別で分けることができるような違いがあります。当然男女それぞれに得意分野、不得意分野があります。お互いの不得意分野を補って、より良い仕組みを作り上げるためには男性のみ、女性のみよりも男女が力を合わせた方がより良い結果になることは目に見えてると思います。

しかし、今回お話しする男女平等については少々疑問に思う部分があります。

一体世の中が考える男女平等とは一体どこを基準にしてるのでしょうか。
私は男なので、どうしても男性目線になってしまいます。なるべく中立の感覚で話そうと思いますが、もし不快に感じてしまう場合は申し訳ありません。

少し前にも話しましたが男性と女性には身体にも考え方にも結構はっきりとした違いがあります。

簡単にそれぞれの特徴を挙げてみたいと思います。あくまでも一般的な違いと考えていただきたいです。


・体格、体力や筋力
男性>女性
・内面的な心の広さ、包容力
女性>男性
・物事を広く捉えて面で考える
男性>女性
・相手を労り相手の立場で物を考える
女性>男性
・物事を狭く深く捉えて点で考える
女性>男性
・見栄えのよい派手な作業
男性>女性
・表には見えない地味な作業
女性>男性
・繊細で細かな作業
女性>男性
・0から物や仕組みを作り上げる作業
男性>女性
・出来上がった物や仕組みを維持し支える作業
女性>男性

不快に感じる方、本当に申し訳ありません。。あくまでも私の個人的な意見になりますのでご理解ください。。

他にも山ほどあります。もちろん一般的な違いであり、例外はあります。

さて、私はこれを見て考えてしまいます。

ある意味正反対の感覚を持ってる男女に平等って言葉は当てはまるのでしょうか。

批判を恐れず言わせてもらうなら男女平等というものは無理です。
しかしこれは男性が女性より上である、またはその逆であるということではありません。平等でないイコールどちらかが上であるという感覚がそもそも間違ってると思います。
あえて強引に名前をつけるなら、私は「男女共存」こそがあるべき姿だと思います。
男女が本当に平等であるべきなのは、発言する権利と表現する権利、選択する権利、あとは当たり前ですが生きる権利です。これらは男性と女性に差があってはいけません。生まれた瞬間から死ぬまで全員が平等に持つべき権利です。

逆にこれ以外は男女は平等ではいけないと思います。

スポーツを例に例えてみましょう。
何で同じ競技を男性と女性で分けてるのでしょうか。混合◯◯など一部の競技は男女合わせて行うものもありますがほぼ全ての競技が男女別に行われています。
男女平等なら男女合わせて行うのが当然ですよね。だって男女の差別なく平等なんですから。当然結果は体格や体力に勝る男性が有利になると思います。しかし、男女平等を主張するなら男女で分けてはいけません。
すると不利な立場からは、不公平だ、不平等だという声が出てきます。
男女の差別なく平等に事を進めると、男女不平等な結果になるという不思議な事が起こります。

当たり前ですよね。私も不平等だと思います。あまりにも女性に不利過ぎると思います。

この話で何が言いたいのかというと、そもそも男女は平等に扱ってはいけないということなのです。それぞれに得意、不得意分野がある中で全てを同じカテゴリーでまとめることがどれだけ不平等なことになるかということです。

もう一つ例を挙げましょう。
なぜ日本の女性の管理職の数は増えないのでしょうか。
日本の女性はある程度の年齢で結婚をし、結婚を機に勤めてた会社を退職し、出産を経て、子育てをしながら家庭を守るという文化を続けてきました。
最近は変わってきましたが、その文化は根強く残っています。当然その文化は会社にも根付いています。

では、仮に会社が大きく仕組みを変えて女性の管理職の比率を多くしたとしましょう。
管理職の方には大きな権限とともに大きな責任を背負うことになります。
しかし結婚、退社、出産という文化が根強く残っている日本で、退社を考えてる人に大きな権限と責任を背負わせる事ができるでしょうか。
更に言えば、日々子育てで忙しい人に対して大きな権限と責任を背負わせる事ができるでしょうか。
本当に男女平等と主張するなら、任せられて、同じお金を貰ってる以上はやらなきゃいけません。例えば子育てが忙しいのでということは理由にはなりません。人それぞれ忙しい理由があります。女性特有の理由でできません、は通りません。

しかし、実際は「事情を知っているはずなのに不当に仕事や責任を押し付けられてる」などの不満が出でしまっている状況です。

もちろん全ての女性がそうだと言っているわけではありません。歯を食いしばって毎日頑張っている方もいます。
しかし、会社はそういう不満が出て、会社の信用が落ちるようなリスクをとってまで、女性を管理職に登用はしないと思います。信用が落ちたら会社の存続に関わります。他の従業員の生活を危険にさらすようなことはしません。というかできません。
結果女性の管理職の数は増えないのではないでしょうか。


言葉遣いに関しても話しておきましょう。
セクハラという言葉が流行った時期があります。

主に男性から女性に対して、外見や女性の性に対して一線を越える発言や行為のことを言いますが、そもそも男女平等ならセクハラという言葉自体存在してはいけません。男性は男性同士でそういう話を当たり前にします。女性も女性同士でそういう話をしてるかも知れません。ではなぜ、男性から女性にそういう話をすることがいけないのでしょうか。男女平等なはずです。同性に話してる話題を異性にすることがなぜダメなのでしょうか。

私が思うに、このセクハラという言葉は女性が男性から身を守るために作り出したものだろうと思います。
これってつまり、自分達(女性)はあなた達(男性)とは違うからその分の配慮をしてくださいってことじゃないでしょうか。女性の方から男性と平等に扱わないでくださいっていう意思表示をしてるような気がします。これでは男女平等にはなりません。

都合のいいときは男女平等ではないと意思表示しておきながら、都合が悪くなってくると性別で不平等を訴えるのは少々疑問が湧いてしまいます。

これは私の個人的な意見になりますが、人間を男女という枠て区別したとき、確実に女性の方が強いです。出産を乗り越えられる強さ、相手に寄り添える優しさ、何かを支え守り抜く強さ、これは男性はかないません。そして何より男性は女性に弱いです。
唯一勝ってる体力や筋力だって女性には振るえません。
もし、女性に暴力を振るっている男性がいたら、それはゴミ以下の存在です。

その上で再度言わせていただきます。
男女平等というものはあり得ません。元々違うのです。不平等であることがある当たり前なのてす。

だから不平等であることをお互いに認めて共存するべきです。無理に平等を主張する必要はありません。

不平等だと認めれば、お互いに自分達が活躍できるタイミングが見えてきます。見栄を張る必要もないので、苦手なタイミングは相手に堂々と任せられるし、それに負い目も感じません。
男性も女性もお互いに、出るべき所は出る、退くべき所は退くという意識を持てば、今よりももっと過ごしやすい社会ができるのではないでしょうか。


またまた偏ったことを書いてしまいました。。
改めて不快に感じてしまった方、申し訳ありません。。


今度はもっとやわらかい話題について書こうかななんて考えてます!


ではまた☆