ババ抜き先生の日記

寝る前に一言

努力したやつが手抜きして何が悪いの?

こんばんは!

相変わらず偏ってることを書いております!
そして今回もブレずに偏ってますので、個人的な感覚として捉えてもらえると嬉しいです。

題名には、

「努力したやつが手抜きして何が悪いの」

と書きましたが、正確には、
「努力した(頑張って成功した)やつが手抜き(楽を)して何が悪いの」

的なイメージで聞いてもらえるといいと思います。

「あんなに高い給与もらって、いい家に住んで、何不自由無い生活してずるいよなぁ」

こんなこと思ったことないでしょうか?おそらくほとんどの方が一度は思ったことあると思います。

ニュースやテレビの向こう側に映る人達に対して、
「どうせあの人は金も地位も権力もある人だから何やっても許される」
「俗に言う特権階級ってやつだよね」

なんて考えたりした経験あると思います。

このような自分にない特別なものを持っている人達に対して、何も持たない人達の目は本当に厳しいものです。
芸能人、政治家、会社の経営者、スポーツ選手など、少し道理から外れたことをするだけで徹底的に目の敵にされます。
もちろん道理に反してるので反省してもらいたいし、二度とやらないことはもちろんですが、日頃から公の場に出ることが多いのであれば一般市民の模範となってもらいたいものです。


しかし、最近の私達一般市民の、いわゆる「成功者」に対する目は少々異常に思えてきます。
彼らがやることは何でもかんでも否定から入り、正しく誉めるべき所は知らんぷりし、至らないところを全力で責めにかかってる気がします。
もちろんこれは、SNSやインターネットの発達で情報がより身近になったことがそう感じる原因でもあると思います。

だとしても、そもそも彼ら「成功者」はそんなに否定されるべき人達なのでしょうか。

誤解を恐れず言えば、それは私達一般市民の、成功者に対する妬みが大きくて、そんなに否定されるものではないと思います。

もちろん法律に触れるような犯罪行為などは、この限りではありません。ボコボコに否定されて、しっかり反省していただきたいと思います。


成功者達は皆、程度に差はありますが相当な努力をしています。そして、相当に苦労されています。
相当に努力して苦労された方が必ず成功者になれるわけではありませんが、成功してる方は皆努力や苦労を経験されていると思います。


私達が学生時代に、恋愛や趣味、友人との時間を楽しんでる間、そのすべてを犠牲にして勉強やスポーツに捧げてきたり、
私達が寝ている間に寝る間を惜しんで働いたり、
私達が仕事終わりにお酒を飲んでる間に、頭を下げて回ったり、
話をすればキリがないのですが本当に血の滲むような努力をして、自身の見栄やプライドを捨てて、地べたを這って苦労してきたはずです。

そんな方達の行動や言動を、楽しむ時に楽しむだけ楽しんで、眠いときに寝たいだけ寝てきた私達は何か意見することができるのでしょうか。
もちろん意見することは自由です。ただしそれは個人や仲間内の範囲で留めておいた方がいいような気がします。

成功者の過去を見ず、その瞬間の行動だけ切り取って否定されるのは、
「ほんとは私もこんなことしたいんだけど私はこんなことできないから、それが悔しくて負け惜しみを言ってます」と自身で認めてるようなものだと思います。

成功者達は私達が想像できないくらいの努力や苦労をして、運という力も借りて今の地位にいます。
彼らは、私達が楽しんできた時間を楽しんできてません。だから今楽しんでるのではないでしょうか。
というか、楽をしてるのではないでしょうか。

私自身、決して成功してるわけではありません。
しかし、彼らがいい家に住み、いい車に乗ってる姿を見てもうらやましい等の感情は湧きません。
彼らの努力や苦労に対する正しい対価だと思うし、何より私にはその努力や苦労をする覚悟がありません。

そんな覚悟がない私にはいい家に住む資格もいい車に乗る資格もありません。

その覚悟を心の中に持ち、なりたい将来を描き、将来に向かって努力や苦労をし続ける覚悟を貫き通した方だけが成功者になれる資格を持っていると思います。

そんな方が私達一般人と同じ生活水準や価値観だと思うでしょうか。
そんなわけありません。まず苦労し続ける覚悟を貫き通しただけですでに、いい意味で浮き世離れしてます。
そのツラい時期を耐え続けてようやくその苦労が実を結んだ人には、その苦労の対価を受け取る資格があります。
それがいわゆる「特権」というものです。

反発を恐れず言わせてもらえるなら、その特権に対して言いたいことがあるのであれば、文句を言う前に同じ位の苦労や努力をしてから言えと思います。

例えば、
お金を稼ぎたいなら
→自分で会社を作りなさい
→いい大学に入って高い給料をもらえる会社に就職しやすいようにに勉強をしなさい
プロ野球選手になるために野球の練習を人の数倍頑張りなさい
等々努力や苦労の仕方はたくさんあると思います。
しかし、
→いや、起業なんてめんどくさいし、そんな才能ないし
→いや、勉強嫌いだし、こんな勉強しても社会で役に立たないし
→どんなに頑張っても一部のすごい人しかなれないから練習は人並みでいいし
なんて考える人がほとんどです。ちなみに私もこっち側です。
はじめから、成功するかもしれない道を自分で諦めてるのです。当然そんな私達は人よりも成功することなんてできませんし、努力や苦労も人並みなので、楽できる量も人並みです。隣の机で働いてる同僚や、隣の部屋に住んでる人と大きな差がない普通の人てす。

頑張っても楽できるとは限らないけど、楽する資格があるのは頑張った人だけだと思います。そして、苦労した人はその苦労に見合う特権があるべきだし、楽できるべきだと思います。そこに人類皆平等という都合のいい解釈は不公平ではないでしょうか。

じゃなきゃ誰がこんな報われないかもしれない苦労や努力をし続ける人生を選ぶんですかね。頑張らない人にも頑張った人にも同じ権利しか与えられないなら、頑張らない人の方が得をしてるわけじゃないですか。それこそ不公平だと思います。

苦労の末、成功し現在楽してる方々からしたら、私達が妬みやひがみ半分で否定している様を見たらきっと笑ってるのではないでしょうか。
「それで気が済むならどうぞ勝手に言ってて下さい。その否定してる時間を努力や苦労に割かないなら一生楽できませんよ」と。


ちなみにこの話、特権や成功というスケールの大きな話ではなく、日々の生活の中の小さいスケールでも同じことが言えると思います。

年を取っても健康でいたいから、若い時から仕事前に早起きしてジョギングを必ずしてます。更に食事にも気を使ってお酒やタバコは辞めました。
→素晴らしい努力だと思います。毎日続けるには苦労もあるかと思います。やり続ける覚悟も素晴らしいです。全ては年を取っても健康でいたいという「成功」のための努力ですね。

ダイエットしてもっと自分を可愛く、かっこよくしたいから、食事は苦手な野菜中心、ジョギングやヨガ、特に男性であれば筋トレなど、運動は欠かしません。
→これも素晴らしい努力だと思います。ダイエットはやり始めるのは誰でもできますが、やり続けることと、その体型を維持することは本当に難しいです。
いつまでも可愛く、かっこよくいたいという「成功」のための努力ですね。

勉強だってなんだって同じです。周りより良くありたいと思うなら、周りよりも多くの努力や苦労しないといけません。努力や苦労をしなければその他大勢から抜け出すことはできません。


さて、例えば芸能人やスポーツ選手、政治家や経営者の方々に対して否定的な意見を続けてる方は、その矛先を向けてる人と同じ位の努力や苦労をしているでしょうか。
もちろん中にはそれ以上の努力をしている方々もいると思います。また、その努力を続けたくても続けられないやむを得ない環境にいる方々もいると思います。
「運」や「環境」という、自分達ではどうすることもできないものがある以上、全てを一つにまとめて「否定する方々」を否定するつもりはありません。

ただし、私が今ここで書かせてもらっていることも含めて、公の場で発言する場合は自分が相手に対して意見を言うだけの資格があるのかないのか(最低限相手の過去や実績の把握、否定する内容に対して自分の知見の量を客観的に分析すること)くらいは判断してほしいと思います。
それができないなら、仲間内でお酒のつまみとして愚痴る程度で抑えていただきたいものです。

そうでなければ、その発信する否定的な意見は説得力が無く、もはやただのうらやましい気持ちから来る負け惜しみにしかならないと思います。

公の場で言葉を発信するなら、ただ否定し続けるだけのような言い合いで終わるのではなく、その後より良いものに進化できるような有意義なものになっていけたらいいですよね。

今回もなかなかに偏った話をしてしまいました。。

また次回もぜひ見に来てください!

ではでは(^-^)/