ババ抜き先生の日記

寝る前に一言

人を納得させる話し方(あくまで個人的な経験上)

おはようございます!

今回はあくまで個人的な経験から導き出した人を納得させる話し方について書きたいと思います。
こんな考え方もあるんだな程度に捉えてもらえると助かります。

また、某動画サイトなどでも似たような動画がたくさんあるかと思います。それと似たような表現があるかもしれませんが、もし良ければお付き合いください。


言葉というものは本当に不思議なもので、口で話しても文章にしても、その言葉が一言一句同じであれば意味は全く変わりません。ですが、受け取り方は全く違くなる場合があります。

日々の仕事での会議やプレゼン、取引先との商談、友人や家族との会話、さらには好きな異性を口説き落としたいなど現状よりもっと話し方が上手くなりたいなんて思う方はたくさんいると思います。

そんな方にまず知ってもらいたいのが、「話し方なんて上手くならなくていい」ということです。

は?って思うかもしれませんがズバリ言うとそうなんです。

話し方が上手い人というのは、周りの空気を敏感に感じ取り、その環境の中で自分の居場所を作り、相手に対して心地良い表現の言葉を無意識に選び出し、それを瞬時に使用します。さらに相手の心の動きや刻々と変わる自分の立ち位置や状況をその都度察知し、その中で相手が揺れ動く言葉をこれまた瞬時に使用します。
例えるならテレビの司会者でしょうか。

経験や慣れはもちろん必要でしょうが、あれを訓練してできるとは私は思いません。

あれは悲しいことですが、生まれ持った性格や才能です。全員ができることではありません。

つまり、話し方は上手くなろうと思っていくら頑張っても、結局上手くなりません。

ではどうすればいいのか。


ここからはテクニックの話です。
難しいことはありません。少し練習して経験を積んで慣れればいいだけです。

いくつかあるので、一気に紹介します。

①口だけで話さない。身振り手振りを使う。

②早口でたくさん話す。

③擬音を使う。

④同じ言葉を繰り返す。

以上です。

文字にすると難しく感じてしまうかもしれませんが、やってみると結構簡単です。

詳しく説明しますね。

①ですが、別に整ったきれいな動作をする必要はありません。
話した言葉にちょっと味付けする程度でいいと思います。例えば、取引先に大きなカバンをお勧めするとき、説明書に書いてある寸法を伝えるよりも、「だいたいこれくらいですかね」なんて手や体で大きさを表現した方がよっぽど良いと思います。
正確な数字を知りたい時は、相手はちゃんと説明書や資料を見ます。極端な話、言わなくても勝手に見ます。

②ですが、これが今回の肝と言っていいと思います。
当然ですが聞き取れないくらいの早口ではダメです。
ただ、あれ?さっきこんな風に言ってたっけ?くらい早口でも大丈夫だと思います。で、その話をとにかくたくさん話します。多少脱線してもいいのでたくさん話します。最後は「やや脱線してしまいましたが~」や「ちょっと話逸れちゃったけど~」という魔法の言葉で戻せばいいだけです。
しかし、これが一番慣れが必要なところです。

私の経験上ですが、プレゼンでも商談でも、日常会話でも、話す人の言葉を全て聞いてる人はまずいません。自分にとって知りたい情報や必要な情報を選んで聞いてます。
そこにやや早口でたくさんの言葉をぶつけると、聞き手はその中で「結局どういうことなんだ?」というある意味思考停止のような状態になります。
大事なのはここです。相手をプチ思考停止状態にすることが目的なのです。

③ですが、すごく大きなものを「大変大きなもので~」なんて難しい言葉で話すより、「ドカーンと~」などの表現した方が相手の頭に入りやすいということです。

④ですが、自分が伝えたいことや相手に覚えておいて欲しいことは一々何度も言った方がいいです。やや慣れが必要ですが、例えば「この商品はお勧めです」ということを相手に伝えたいならば、
「この~はお勧めです」を前半に一発、中盤に「~は皆さんから好評です」、「~はお世辞抜きで良い」的な表現を使いつつ、最後に「~はぜひともお勧めしたい」「~の良さをお伝えしたい」など表現を多少変えながら同じことを言い続けるということです。もちろん連続で言われると、しつこいなと思われるのでやや慣れが必要です。


ちなみにこの四つてすが、複数合わせると絶大な効果があります。もちろん会社の重要な会議で、③のような擬音は相応しくないなど、例外はあります。
しかしそういうお堅い場でも、①のような身振り手振りを使い②のようにやや早口で脱線を恐れずとにかくたくさんの言葉を話し、要所で④のような伝えたい言葉を繰り返すなど、使い方はたくさんあります。

しかもこれ、ものによっては慣れや経験が必要と書きましたが、正直すぐに慣れます。特別な知識を必要とせず、思ったことを身振り手振りを混ぜて脱線しても構わないから早口でたくさん話せばいいだけなので。

②でプチ思考停止になってくれれば、相手は①身振り手振りや③擬音で分かりやすい表現が頭に残り、ちょこちょこ挟んでくる呪文のような④のこちらの意図に気づいたらハマってる、言うならば

「んー、なんか分かったような分からないような感じなんだけど、なんか悪いものではないってことだけは分かったからちょっとお願いしようかな」
という流れになってきた経験があります。

ちなみにこれは日常の会話でも同じです。友人と遊んでて、

今日は何としてもラーメンが食べたい、しかし、この流れはなんか牛丼だ。。なんてどうでもいいような状況から、

この半年、ずっと好きだったあの人。。そろそろ告白して関係を前に進めたい。。なんて重要な局面まで、幅広く対応できるかと思います。


むしろどうでもいい状況の時にあえて場数を踏むために実践してみるのも一つかもしれません(笑)


どうでしょうか。もちろん時と場合により通用する時とそうでない時があります。必ず成功をお約束するものではなく、あくまでも私の経験上の話です。

しかし、特別な知識は必要なく、少しの慣れさえあれば誰でもできるテクニックです。

ちなみにこの書いてる文でも④のような、伝えたいことを要所要所に表現を変えて織り交ぜてます。
その伝えたいこととは何かを当ててみて下さい(笑)


長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます!


ではまた次回☆

努力したやつが手抜きして何が悪いの?

こんばんは!

相変わらず偏ってることを書いております!
そして今回もブレずに偏ってますので、個人的な感覚として捉えてもらえると嬉しいです。

題名には、

「努力したやつが手抜きして何が悪いの」

と書きましたが、正確には、
「努力した(頑張って成功した)やつが手抜き(楽を)して何が悪いの」

的なイメージで聞いてもらえるといいと思います。

「あんなに高い給与もらって、いい家に住んで、何不自由無い生活してずるいよなぁ」

こんなこと思ったことないでしょうか?おそらくほとんどの方が一度は思ったことあると思います。

ニュースやテレビの向こう側に映る人達に対して、
「どうせあの人は金も地位も権力もある人だから何やっても許される」
「俗に言う特権階級ってやつだよね」

なんて考えたりした経験あると思います。

このような自分にない特別なものを持っている人達に対して、何も持たない人達の目は本当に厳しいものです。
芸能人、政治家、会社の経営者、スポーツ選手など、少し道理から外れたことをするだけで徹底的に目の敵にされます。
もちろん道理に反してるので反省してもらいたいし、二度とやらないことはもちろんですが、日頃から公の場に出ることが多いのであれば一般市民の模範となってもらいたいものです。


しかし、最近の私達一般市民の、いわゆる「成功者」に対する目は少々異常に思えてきます。
彼らがやることは何でもかんでも否定から入り、正しく誉めるべき所は知らんぷりし、至らないところを全力で責めにかかってる気がします。
もちろんこれは、SNSやインターネットの発達で情報がより身近になったことがそう感じる原因でもあると思います。

だとしても、そもそも彼ら「成功者」はそんなに否定されるべき人達なのでしょうか。

誤解を恐れず言えば、それは私達一般市民の、成功者に対する妬みが大きくて、そんなに否定されるものではないと思います。

もちろん法律に触れるような犯罪行為などは、この限りではありません。ボコボコに否定されて、しっかり反省していただきたいと思います。


成功者達は皆、程度に差はありますが相当な努力をしています。そして、相当に苦労されています。
相当に努力して苦労された方が必ず成功者になれるわけではありませんが、成功してる方は皆努力や苦労を経験されていると思います。


私達が学生時代に、恋愛や趣味、友人との時間を楽しんでる間、そのすべてを犠牲にして勉強やスポーツに捧げてきたり、
私達が寝ている間に寝る間を惜しんで働いたり、
私達が仕事終わりにお酒を飲んでる間に、頭を下げて回ったり、
話をすればキリがないのですが本当に血の滲むような努力をして、自身の見栄やプライドを捨てて、地べたを這って苦労してきたはずです。

そんな方達の行動や言動を、楽しむ時に楽しむだけ楽しんで、眠いときに寝たいだけ寝てきた私達は何か意見することができるのでしょうか。
もちろん意見することは自由です。ただしそれは個人や仲間内の範囲で留めておいた方がいいような気がします。

成功者の過去を見ず、その瞬間の行動だけ切り取って否定されるのは、
「ほんとは私もこんなことしたいんだけど私はこんなことできないから、それが悔しくて負け惜しみを言ってます」と自身で認めてるようなものだと思います。

成功者達は私達が想像できないくらいの努力や苦労をして、運という力も借りて今の地位にいます。
彼らは、私達が楽しんできた時間を楽しんできてません。だから今楽しんでるのではないでしょうか。
というか、楽をしてるのではないでしょうか。

私自身、決して成功してるわけではありません。
しかし、彼らがいい家に住み、いい車に乗ってる姿を見てもうらやましい等の感情は湧きません。
彼らの努力や苦労に対する正しい対価だと思うし、何より私にはその努力や苦労をする覚悟がありません。

そんな覚悟がない私にはいい家に住む資格もいい車に乗る資格もありません。

その覚悟を心の中に持ち、なりたい将来を描き、将来に向かって努力や苦労をし続ける覚悟を貫き通した方だけが成功者になれる資格を持っていると思います。

そんな方が私達一般人と同じ生活水準や価値観だと思うでしょうか。
そんなわけありません。まず苦労し続ける覚悟を貫き通しただけですでに、いい意味で浮き世離れしてます。
そのツラい時期を耐え続けてようやくその苦労が実を結んだ人には、その苦労の対価を受け取る資格があります。
それがいわゆる「特権」というものです。

反発を恐れず言わせてもらえるなら、その特権に対して言いたいことがあるのであれば、文句を言う前に同じ位の苦労や努力をしてから言えと思います。

例えば、
お金を稼ぎたいなら
→自分で会社を作りなさい
→いい大学に入って高い給料をもらえる会社に就職しやすいようにに勉強をしなさい
プロ野球選手になるために野球の練習を人の数倍頑張りなさい
等々努力や苦労の仕方はたくさんあると思います。
しかし、
→いや、起業なんてめんどくさいし、そんな才能ないし
→いや、勉強嫌いだし、こんな勉強しても社会で役に立たないし
→どんなに頑張っても一部のすごい人しかなれないから練習は人並みでいいし
なんて考える人がほとんどです。ちなみに私もこっち側です。
はじめから、成功するかもしれない道を自分で諦めてるのです。当然そんな私達は人よりも成功することなんてできませんし、努力や苦労も人並みなので、楽できる量も人並みです。隣の机で働いてる同僚や、隣の部屋に住んでる人と大きな差がない普通の人てす。

頑張っても楽できるとは限らないけど、楽する資格があるのは頑張った人だけだと思います。そして、苦労した人はその苦労に見合う特権があるべきだし、楽できるべきだと思います。そこに人類皆平等という都合のいい解釈は不公平ではないでしょうか。

じゃなきゃ誰がこんな報われないかもしれない苦労や努力をし続ける人生を選ぶんですかね。頑張らない人にも頑張った人にも同じ権利しか与えられないなら、頑張らない人の方が得をしてるわけじゃないですか。それこそ不公平だと思います。

苦労の末、成功し現在楽してる方々からしたら、私達が妬みやひがみ半分で否定している様を見たらきっと笑ってるのではないでしょうか。
「それで気が済むならどうぞ勝手に言ってて下さい。その否定してる時間を努力や苦労に割かないなら一生楽できませんよ」と。


ちなみにこの話、特権や成功というスケールの大きな話ではなく、日々の生活の中の小さいスケールでも同じことが言えると思います。

年を取っても健康でいたいから、若い時から仕事前に早起きしてジョギングを必ずしてます。更に食事にも気を使ってお酒やタバコは辞めました。
→素晴らしい努力だと思います。毎日続けるには苦労もあるかと思います。やり続ける覚悟も素晴らしいです。全ては年を取っても健康でいたいという「成功」のための努力ですね。

ダイエットしてもっと自分を可愛く、かっこよくしたいから、食事は苦手な野菜中心、ジョギングやヨガ、特に男性であれば筋トレなど、運動は欠かしません。
→これも素晴らしい努力だと思います。ダイエットはやり始めるのは誰でもできますが、やり続けることと、その体型を維持することは本当に難しいです。
いつまでも可愛く、かっこよくいたいという「成功」のための努力ですね。

勉強だってなんだって同じです。周りより良くありたいと思うなら、周りよりも多くの努力や苦労しないといけません。努力や苦労をしなければその他大勢から抜け出すことはできません。


さて、例えば芸能人やスポーツ選手、政治家や経営者の方々に対して否定的な意見を続けてる方は、その矛先を向けてる人と同じ位の努力や苦労をしているでしょうか。
もちろん中にはそれ以上の努力をしている方々もいると思います。また、その努力を続けたくても続けられないやむを得ない環境にいる方々もいると思います。
「運」や「環境」という、自分達ではどうすることもできないものがある以上、全てを一つにまとめて「否定する方々」を否定するつもりはありません。

ただし、私が今ここで書かせてもらっていることも含めて、公の場で発言する場合は自分が相手に対して意見を言うだけの資格があるのかないのか(最低限相手の過去や実績の把握、否定する内容に対して自分の知見の量を客観的に分析すること)くらいは判断してほしいと思います。
それができないなら、仲間内でお酒のつまみとして愚痴る程度で抑えていただきたいものです。

そうでなければ、その発信する否定的な意見は説得力が無く、もはやただのうらやましい気持ちから来る負け惜しみにしかならないと思います。

公の場で言葉を発信するなら、ただ否定し続けるだけのような言い合いで終わるのではなく、その後より良いものに進化できるような有意義なものになっていけたらいいですよね。

今回もなかなかに偏った話をしてしまいました。。

また次回もぜひ見に来てください!

ではでは(^-^)/

NHKについて

おはようございます!

今回も最近世間を騒がせた事柄について書こうと思います!相変わらず考えは偏っておりますので、個人的な考えとして捉えてもらえると助かります。

今回はNHKです。

最近は特にテレビ離れが加速していることもあり、

「見る気もないものに受信料など払う意味が理解できない」

という私達一般市民の視点と、

「見る見ないは関係ありません。見れる環境なら受信料を徴収します」

という企業側の視点の溝が特に深くなってきたと思っています。

その挙げ句、テレビを持っていない人に対して、「テレビを持っていません」という届け出を出せ、など常識ではちょっと考えられない案も出たりなど、議論が度を越してヒートアップしてるような気がします。

冷静に考えていこうと思います。

私は民放も含めてテレビはあまり見ません。しかしNHKの受信料は払ってます。特に疑問も感じませんし、怒りや矛盾も感じません。

逆になぜ「払わない」ということを大きく主張してるのかなと思ってしまいます。

「見たくもないチャンネル(NHK)を勝手にテレビの中に組み込んでおいて、見れる環境だからお金下さいっておかしくない?」

「選ぶ権利はこちらにある。見る必要ができたらこちらからお金を払ってでも見るから」

これらの意見、全て間違ってないと思います。ただし、イコール正しいというわけでもなさそうです。

まず、NHKはほぼ国営放送です。ニュースには評論家などはいなく、特定の思想に偏らず中立を保ち、事実を淡々と放送します。ドキュメンタリーの番組も同じです。現在日本のどこかで起きている事実を淡々と放送します。
全ての国民に平等に見る権利が与えられているものです。
反面NHK以外のテレビは様々な思想が入り交じり、各番組にはスポンサーという広告主の思惑も絡みます。必ずしもまっすぐに事実を伝えているわけではありません。

当然ですが、「テレビを見る見ない」、「NHKを見るか民放を見るか」の選択は私達見る側の自由です。
ただし、民放は「とにかくうちの番組を見て欲しい」側です。視聴者を飽きさせないように誇張した演出を加えたり、意図的に偏りを持たせて、盛り上がるような工夫をします。とにかく見続けてもらうことが大事です。
対してNHKは「うちの番組を見て欲しい」側ではありません。ほぼ国営放送として、正しい情報を偏りなく全ての国民により早く伝えることが何より大切なのです。

これはもはや、同じテレビという機械で見れるものだけど、NHKと民放は比較の対象にならず、別物として考えた方が良さそうです。


「欲しい情報はネットで見れるし、何よりネットの方が早いでしょうが。だからやっぱりNHKはいらない。」

こんな声が聞こえてそうです。

ごもっともです。まったく間違っておりません。しかしNHKはほぼ国営放送です。全ての国民に平等に、より早く情報を伝える責務があります。
ネットの方がもしかしたら早いかもしれないし手軽かもしれないが、インターネットの環境が整っていない方、テレビやラジオが主な情報取得源の高齢者の方が一定数いる現在の日本においては「NHKはいらない」という話にはならないような気がします。

さらにネットの情報は正確さという観点から見たらやや疑問があるかもしれません。情報の出所が曖昧であったり、情報の発信元が偏った考えに基づいてはいないだろうか、などがあります。
NHKはその点情報の正確さは保証されています。何しろほぼ国営放送な訳ですから、情報の正確さは国が責任を持って保証してくれます。

全ての国民が正しい情報を平等に知ることができる権利をNHKが提供する代わりに、私達は受信料をNHKに提供するわけです。

全ての国民に提供するので、全ての国民からお金を下さいっていう理屈です。提供はしますけど、それを見るか見ないかは個人の自由ですってことです。



....納得できませんよね(笑)
こんな理屈で納得できるならはじめから「こんなのおかしい」なんて思いませんよね。


ここで1つ例を挙げたいと思います。ちなみに私はこの例をNHKの受信料問題と重ねたとき、色々なものがストンと腑に落ちました。

NHKの受信料って各種保険と似てるんですよね。特に健康保険とは重なる部分があります。

皆さんは当たり前のように社会保険国民健康保険に加入してますよね。特に国民健康保険国民皆保険と言われるもので、原則日本国民全員に加入義務があります。

・病気になってもならなくても毎月一定金額を保険料として支払わなければいけない。
病気にならなければ、形としては払い損になってしまいますが、もし病気になったときは実際にかかった医療費の1割~3割程度の負担で済みます。もしもの時、本当に必要になった時のために必要ない時期から払い続けるのです。

ではこれをNHKバージョンにしてみましょう。
NHKを見ようと見なかろうと毎月一定金額を受信料として支払わなければいけない。
見なければ、形としては払い損になってしまいますが、もし例えば大地震などの緊急時などは国から保証された正確な情報がテレビやラジオから絶え間なく受け取れます。もしもの時、本当に必要になった時のために必要ない時期から払い続けるのです。

どうでしょうか。認めたくないけど、なるほどと思う部分が少しはあるのかなと思います。


何度も言いますがNHKはほぼ国営放送です。民放各社や、自分が望んだときだけ見れるスカパーなどのCS放送ではありません。
テレビという同じ機械から流れているだけであり、そもそも全く違うものであり、比較すべきものではないのではないでしょうか。


「つまらない番組ばかりやってるから見ないんだ。だから受信料なんか払ってられるか」

こんな方もたくさんいると思います。しかし事実を淡々と、中立を保ちながら放送するので、そもそもおもしろいものでもありません。


私自身、テレビ業界の人間でもありませんし、業界の専門的な知識もありませんが、少しだけ視点を変えて理屈を考えてみるとそんなに大騒ぎするほどのことなのかなと考えてしまう部分があります。

皆さんはどう考えるのでしょうか。
時間があったら考えてみるのも一つかもしれませんね。


読んでいただきありがとうございました!

疑うこと、信じること

こんばんは!


今回も私の持論を書きたいと思います!

読んで頂けた方の中で、異論や同意など心の中に少しでも残っていただけたら嬉しいです。


さて、皆さんは「信じる」という言葉に関してどういう印象を持ちますか?


いい言葉ですよね。

○○さんを信じます、とか言われたらやっぱり嬉しいですよね。


では逆に「疑う」という言葉はどうでしょう?


ちょっとプラスのイメージは持ちませんよね(笑)


しかし、私は少し違います。

信じるという言葉にはあまりいい印象を持ちません。逆に疑うという言葉にいい印象を持ちます。


例を交えながらご説明したいと思います。

過去の日記でもお話しましたが私は男です!

私、現在お付き合いしてる方がいます。でも知り合ってからお付き合いするまではだいたい3週間ほど時間が過ぎてます。

その3週間の間、私はその相手と連絡をとり、実際に会い、とにかく相手のことを色々知ろうと努力しました。

その結果、相手のことが好きになりお付き合いが始まり、現在に至ってます。


まあどこにでもある話です。何も特別なことは話してません。

もちろんノロけてる訳でもありません(笑)

1つの例としてお話しました。


人は常に何かを知りたいっていう好奇心の塊です。
一つ何かを知ったらまた新しく何かに興味を持ち、それを知ろうとします。

私は知り合った女性に興味を持ち、3週間かけて相手のことを知ろうと努力しました。


これは私の中で「3週間相手のことを信じず、疑い続けた」と言い換えることができます。

きっとこうだろう、だから大丈夫だ!

これで間違いない!

と信じた瞬間、人はそれ以降知ろうとすることを辞めます。だって信じるんですもん。これ以上何かを知る必要もないですよね。
となると、それ以降新しい情報は基本入ってきません。


逆に、

んー、どうなんだろ。大丈夫なのかな?

なんか違うんじゃないかな。

と疑ってる間は、人は目の前のことを知ろうと頭の中のアンテナを高くしています。無駄なことかも知れないけど、色々な情報が入ってきます。
だって疑ってるんだもん。いいのか悪いのか気になりますし、もっとたくさんの情報が欲しいじゃないですか。


どうでしょう?
何か不思議ですよね。

疑うことが悪いことだと思えないんですよ!

徹底的に疑って、疑問と向き合ってようやく納得できる答えにたどり着いて、初めて納得できる。

信じるんじゃなくて、納得できるんですよ。


私は3週間相手を知ろうと疑って、疑問をもっては解決し、また新しい疑問をもってはまた解決し、を繰り返して、ようやく自分はこの人が好きなんだと納得しました!

未だに自分の気持ちは信じてません!ただ、納得はしてます!



所詮は言葉の受け取り方の問題でしょ?って思ったり、そんな小さなことに何を言ってるんだ、と思ってる方。

ごもっともです(笑)間違いないと思います!

でもその方は多分世の中のルールにあまり疑問を持たずに、これが当たり前なんだと信じてる方だと思います。
ちなみに今私達が当たり前だと思っていることは、私の親や、もっと昔に生きた方の「なぜ?」という疑問や疑いから生まれたものです。


それは事実です。




ちなみに私のようなひねくれた人は嫌われます(笑)

でも、この気持ち、忘れたくないなって思います。


仕事でもプライベートでも、常に現状に満足せず、疑問を持ち続け、疑うことをやめずに目の前の壁を壊し続けた先にどんな景色が広がってるのか私は興味があります!

そしてそんな自分が歩いてきた道をふと振り返った時、どんな道だったのかを見返すのもこれから先の楽しみです!



これを読んで頂けた皆さんのこれからの道はどんな道でしょうか?

同じことを繰り返す単調な毎日に、疑うというスパイスを取り入れてみたらどうでしょうか。


長々と読んで頂き、ありがとうございました!

転売屋について

こんばんは!

今回は今何かと世の中を騒がせている転売(屋)について書こうかなと思います!

個人的な意見ですし、賛否あるかと思います。また、デリケートなお話でもありますので嫌悪感を感じる方もいらっしゃると思います。
こんな感覚もあるんだな、程度に捉えてもらえると幸いです。
ちなみに私は転売をしたことはございませんが、前職で転売屋と触れ合ったことは山ほどあります。

まず私の転売に対する立ち位置をしっかり示しておこうと思います。

転売は条件付きではありますが肯定派です。
そしてその条件は、
「ルールを守り、周りに迷惑をかけないこと」
です。

転売してる時点で周りに迷惑をかけてるし、ルールなんて無視してない?って思う方もいると思いますが、私の考えるルールというのは少し違います。

私が考えるルールとは、法律に触れるような不正な手段で手に入れること、これは守ってくださいね、ということです。
勝手に他人の名義を使って手に入れる、他人に暴力を振るって無理矢理奪って手に入れる。こういったことはしないで、ちゃんと正しい手順で手に入れて下さいねってことです。

そもそも転売が極端に嫌われるのは、
買い占めを行って、いたずらに値段をつり上げて利益を稼ごうとするからです。

買い占められるので、異常につり上がった値段でしか購入できなくなり、本当に必要な人に適正な価格で提供ができなくなります。

では、その適正な価格とは何でしょう。
製造しているメーカーの小売希望価格でしょうか。
もしそのように思われる方がいたなら、それは今の世の中では通らない理屈です。
この理屈が通ってしまうと、世の中の中古品を取り扱ってる店は存在してはいけないことになります。適正な価格よりも安いのはOKで、高いのはNGというのはやや都合が良すぎるかなと思います。
ちなみに中古を取り扱ってるお店の中にも、何らかの理由で当時の価格よりも高騰してプレミア価格になっているものもあります。
そのプレミア価格を悪いと感じる方はいないと思います。

ある商品Aを売る人が値段を決めて、その値段でも商品Aを欲しいという人がいる場合、それは適正な価格だと思います。
ただし、そうなってしまうと商品Aは、それを売る人と買う人によって価格がバラバラになってしまいます。
中古を扱うお店の場合、商品Aの状態等で多少の値段変動はしますが、世の中の売る人と買う人が納得した様々な「適正な値段」のおおよその平均値に、一般的な経年劣化による値段の変化を加味して統一した中古価格を割り出します。
その割り出された価格は普通は新品価格よりも安くなります。ただし、普通じゃないこともあります。新品価格よりも高くなるってことですね。

転売屋さんは企業ではないので、自身で商品を仕入れ、様々なルートで利益を乗せた金額で商品を売ろうとします。結果それが売れなければ、その商品に転売屋さんがつけた値段の価値がなかったということなので、それは「適正な値段」ではなかったということです。その商品の適正な値段はもっと低いのでしょう。
時には仕入れた値段よりも安くしないと売れないこともあるかと思います。

赤字です。

残念でした。

自己責任です。

次また頑張りましょう。

この一連の行動、中古を取り扱ってるお店やスーパーマーケットの惣菜などの処分価格での売り切りとやってることが変わらないような気がします。

正しい手順で仕入れた商品を転売することを全面的に否定することはできないような気がします。もちろん不正な手段を使っていたなら問題外です。

「お一人様一個まで」なんて書かれてる数量限定の商品を何回も並んで購入することも手間がかかってるのは自分自身です。
それを否定するのであれば、スーパーマーケットで「お一人様一個まで」と書いてある卵を何回も並んで購入したりする方、友人や子供、親を並ばせて複数個購入させる人も全力で否定すべきです。

ただし、これは「お一人様一会計一個まで」なのか本当に「お一人様一個まで」なのかは、その都度ルールに従うことが前提です。

複数店舗をはしごして商品を買い集めることも同じです。誰にも迷惑はかかってません。かかってるのはご自身の手間と時間だけです。
これを否定するのであれば、特売を実施している複数の店舗を渡り歩いて同じ値段の卵を買ってる人も全力で否定しなければいけません。

並んでる列に横入りをしたり、商品購入時に騒いだりなど周りの方に迷惑をかけないように購入する分には全く問題ないと思います。


つまり転売屋さんが商品を仕入れることと同じことを私達はやっているということです。
さらに転売屋さんのことを否定する材料がなくなってきました。


「必要としてる人に提供できない」というのも少し疑問が湧いてきます。

そもそもその人にとって「本当に欲しいもの」、「どうしても必要なもの」は金額で諦めたりするものでしょうか。

正しい例えかどうか分かりませんが、一つ例え話をしたいと思います。

Aさんは今とても具合が悪いです。どうやら熱があるようでぼーっとしてます。頭も痛いし咳も出る。
でも今日はどうしても外せない約束があります。
でもこのままではどうしても難しい。完全に治るまでいかなくても、なんとか症状を軽くしたい。せめて薬だけでももらいたい。

Aさんは病院に行き診察をしてもらい薬を処方してもらいました。
会計の際、初診ということもありビックリするくらい高い診察料と薬代を請求されました。

さて、Aさんはそのビックリするくらい高い金額に対して「高すぎるわ、なら薬なんていらないわ」などと揉めるでしょうか。というかそんな人いるでしょうか。
私は見たことありません。

これはAさんにとって「どうしても必要なもの」は、症状を軽くするための薬です。
高いから諦めるものではありません。
高かろうと必要なんです。今すぐに。
だから買うんです。

逆に、「そこまで急ぎで必要ではないもの」「あったら嬉しいが無いなら無いでいい程度のもの」は金額次第で平気で諦めます。

自身が納得できる値段じゃなければ当然買いませんし、「高すぎるだろ、おかしい」と文句も言います。



必要な人に迷惑がかかる、と言ってる人は転売により値段がつり上がったものを本当に必要なのでしょうか。
本当に必要であれば、高いと思っても買うでしょう。だってどうしても必要なんですもん。
「これは高い、おかしい、何とかしろ」と言ってられるうちは、そこまで必要なものではないような気がします。

ではなぜ、転売屋は嫌われるのでしょうか。
私が想像するに、うらやましいのではないでしょうか。何がうらやましいのか。

①ものを右から左に動かすだけでお金を儲けてること

②楽して儲けてること

③自分は真似できないから、単純に金を稼いでるのがずるい

こんなところでしょうか。

冒頭書いた通り、前職で転売屋と嫌でも触れ合っていたため、その経験も踏まえつつお答えすると、

①ものを右から左に動かすだけ、というのはどこの会社でも同じことをやってます。基本的にモノが動くとお金が動きます。これが気に入らないと言われると何も言えません。世の中の仕組みがそうなっています。

②楽して儲けてる訳ありません。とんでもない手間と時間をかけてるはずです。副業として転売屋を行ってる場合、休みの日や仕事帰りなど自分の時間や寝る時間をかなり削ってると思います。そのくせ、赤字になるリスクを常に背負ってます。誰も損失の補填はしてくれません。全て自己責任、自業自得です。さらに世間からの風当たりが強く白い目で見られます。きっと苦痛だと思います。
かくいう私も、転売屋のことはボロクソに嫌ってました。ただの邪魔者だと言ってた記憶があります。

③隣の畑は良く見えるものです。表面の良いところだけ見て、いざ中身を知ったら。。なんてことはよくあることです。


長々と書いてきましたが、転売屋さん達は果たして世の中が言うほどひどいことをしているのでしょうか。

もちろん、中にはルールを守らず人に迷惑をかけて転売を行ってる方もいます。
そういう方は必要ありません。大赤字になって、苦しんでしまえばいいと思います。

しかし世の中の人のほとんどが、少しでも多くのお金を稼いで今よりも充実した生活を送りたいと思う中で生まれた知恵の一つなのではないでしょうか。

それを全否定することは、終身雇用が壊れた今の時代に生きる私にはできないような気がします。

みなさんはどう考えるのでしょうか。
色々な方向からの意見を聞いてみたいものです。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

パチンコ、パチスロについて 5

こんばんは!

いよいよホントに最後です(笑)

パチンコ、パチスロ(以下パチ)について5回目になります。これまでの総括も終わりました。心構えも書かせてもらいました。
ずばり最後にふさわしい話題かもしれません。
これまで同様にあくまでも個人的な考えになりますのであらかじめご承知ください。なお、私の予想も交えた話になりますので、話のネタ程度に捉えてもらえると幸いです。

「俺、散々いいようにやられてたけど、少しでも見返してやりたい。どうすれば仕返しできますか」について書こうと思います。

仕返しという言葉は乱暴ですね。

言い換えましょう。
パチ屋がされたら嫌なこと、困ること」についてです。

ただしこれを実行するのは結構難しいです。というか覚悟が必要です。

過去のお話でも出てきましたが、パチ屋は企業です。
企業は利益を出さないといけません。これは何も悪いことではありません。
むしろ利益を出せない企業は様々事情はあるかと思いますが一般的に社会的な信用がありません。
利益が出ないとその企業で日々働く従業員の生活を守れない訳ですからむしろ無責任とも言えます。

あんまり知られてないかもしれませんが、私が調べて知ってる知識で言えば、パチ屋はあまり儲からないのではと思ってます。
誤解を招く言い方だったかもしれません。正しくは薄利多売な商売だと思われます。
確かに儲けはあります。ただ、売り上げに対して利益が少ないと思われます。

例え話として、
・1万円の利益を出したい。
→スーパーマーケットAは原価や人件費などの経費が1万円かかるから2万円売り上げを立てれば1万円の利益が出る
パチ屋Bは人件費などの経費が99万円かかるから、
100万円売り上げを立てれば1万円の利益が出る

ちょっと極端かもしれませんが、パチ屋Bの方が遥かに大きな金額の売り上げを立てないと利益が出ないってことです。
少し前までは20兆円産業なんて言われてましたけど、それくらい売り上げを立てないと大きな利益にはならないんだろうなと思います。
パチ屋は莫大な固定費がかかります。遊戯台の購入費、水道光熱費、地代、人件費、他色々。。

店を開けていようと閉めていようと固定の経費がどんどんかかります。だからこそパチ屋は店を開け続けなければいけないのです。
そして店でお金を使ってもらって売り上げ、利益をあげる。

前置きが長かったですね(笑)ずばり言いましょう。

パチ屋が一番困ること。それは、

「お客さんが遊びにこないこと」

パチ屋は企業です。慈善事業ではありません。
誰かが偶然にも当たり台に座ってその日偶然お金が増えれば、他の大半の人はお金が減ります。お金が増える人の増えた分のお金は、お金が減った人の分から充てられます。

お客さんがお金を使う→店にお金が入る→事前に計画を立てた分の金額を店が確保→余ったお金が一部の幸運な人に集まる

厳密に言えばお金ではないのですが、分かりやすく言うとこれが一連の流れです。
お客さんが使うお金が減れば店に入ってくるお金も少なくなります。でもお店の取り分は最低限はとらないといけません。それは仕方ない。だって企業ですもん。
すると、お金が余らない。余らなければ幸運な人にお金が集まらない。つまり出ない。

出なければ、お客さんは来ない。つまりお金が入ってこない。そこからお店の取り分をとったらもっとお金が余らなくなる。だからもっと出なくなる。

ここにパチ屋の薄利多売という利益システムのしかかってくるわけです。
ただでさえ大量に売り上げを立てないと見合った利益が出ないのに、お客さんが来ない。つまり売り上げの分母が確保できない状況。これだけは絶対に阻止しないといけないわけです。

正直、「店長呼べこら」って騒いだり、駐車場にゴミをばらまかれたり、トイレを詰まらせる、なんて痛くも痒くもないと思います。そんなことで憂さ晴らしできるなら好きにやっていただいて構いません。ただし、修理費用や清掃費用、または清掃にかかる人件費分はお客さん達から頂きますが。って話です。お店の取り分(というか取らなきゃいけない分)が増えるだけです。
自分達に還元されてくるかもしれないものが減るだけです。

自分で自分の首を閉めてしまっているだけです。

それよりも笑顔でお店を出て、2度と来ない。これが一番困る。
現実的ではないですが、これをお店のお客さん全員にされたら、そのお店は終わりです。

だだしパチを楽しむ方にとって、お店に行かないということは思った以上に厳しいことで、覚悟が必要です。これは本人次第というところもあるでしょう。

ちなみにパチ屋としてもそういう方をパチから離れないようにするために、色々な所にきれいなお店を構えて、お客の取り合いをしているわけです。


遊戯人口が減っていく中で、お客さんに遊んでもらうことが全てのパチ屋とすれば、お客さんが離れていく事が一番困ることであり、お客さんはパチ屋に行かないことこそが一番の仕返しになる。しかしその仕返しの手段はあまりにも酷で難しい。

パチをしない方からすれば、
「じゃあ辞めればいいのに」の一言ですむ話なんですけどね。

なんとももどかしい話です。


とまあこのような感じで長々と書いてきましたが、これはあくまでも私の個人的な考えです。誰かに押し付けようとも思わないし、異なる意見を否定する気もありません。

ただ、一歩間違えれば生活が壊れる危険がある遊びです。
何も考えずにフラフラ遊んでるよりも何か一つ信念をもって自分を守りながら遊ぶことをおすすめしたいと思います。

改めて読んでいただきありがとうございました!

もし異論反論同意見等あればコメントなどもらえると嬉しいです。

次回は全く違う内容を書くと思いますが、良かったら覗きに来てください!

ありがとうございました!

パチンコ、パチスロについて 4

こんばんは!

最後と言っておきながら結局また書いてます(笑)

これまでパチンコ、パチスロ(以下パチ)を取り扱うお店、確率、私が思う理想の距離感について話してきましたが、今回はそれらを総括しつつ

「とは言っても惑わされちゃうよね、だって面白くできてるんだもん」って声にめちゃくちゃつまらない現実を話したいと思います!

過去三回と同様にあくまでも個人的な考えであることをあらかじめご承知ください。

・パチは間違いなく確率で抽選されているが、そのパチを主な商品として提供しているパチ屋は確率やその日の運で営業はしていない。
・皆さんが働いてる会社のように緻密な利益計画によって営業しています。確率や運なんてありません。全てしっかり管理下に置かれてます。

つまらなくてすいません(笑)これが全てです。これを心の中に置いておけば全部解決します。

・パチとは日常味わえない勝負の真似事をお金を払って体験できるアトラクションだと思うこと。
・遊園地のジェットコースター(日常味わえないスリル)や、ネズミの夢の国(日常味わえない非現実な世界)にお金を払っていくことと何も変わりません。

なのでパチを否定もしません。むしろ身近にあるので、日頃ストレス発散にはいいのではないでしょうか。ただし距離感を間違えないようにってことです。


パチで遊んでると、よく出会う光景があります。
大当たりが期待できるレベルのなかなか見れない、キラキラした演出や予告を外すって光景です。私を含めて皆さんおそらく100回以上経験されてると思います。


パチの台は我々の感情を揺さぶってきます。揺さぶって揺さぶって、疲れて弱ってきた頃にキレイに大当たりします。今までの苦労が当たった幸せを倍増させます。
これは宗教にのめり込んでしまうパターンや、恋愛などでよく言われる「吊り橋効果」に似てるような気がします。※個人的な考えです。

人は不安やストレスが強ければ強いほど目の前のモノ(人)に安心感や依存心を求めます。
「財布の中がどんどん軽くなっていく。。ヤバい。。昨日もらった今月のバイト代、もう無いわ。。明日からどうしよう。。」なんて泣きそうな時に、

ガッシャーン❗ピリリリリー❗
なんておめでたい音が鳴って大当たりスタート、結果使った分取り返しました。

これはパチの魔力に負けますよ。だって台を作ってるメーカーも企業ですもん。プロですもん。
人間心理を的確に突いてきますよ。

メーカーも人間心理を突いた、これ見よがしに楽しい台を作ってくる。
パチ屋は夏は涼しく冬は暖かくいつでも快適な空間を提供してくれる。

「すごく楽しい台を快適な空間でいつでも用意してますから、お金を使ってください」ってことです。
つまり我々打ち手はパチを打つ前からビックリするほど不利な状況にいるってことを認めないといけません。

・店と俺(お客さん)は平等ではありません。
圧倒的不利です。
・店と俺(お客さん)との真剣勝負の場でもありません。
そもそも勝負になりません。相手は機械です。初めから負けてます。相手の用意した舞台で踊るだけです。


我々がそのあまりに不利な状況から身を守るには
「無感情」でいることだと思ってます。

だから私はこう思うことにしてます。
「あぁ、0.3%外したなぁ(1/319の場合)」と。どんな演出が来ようと、大当たりをする確率は1回転辺り0.3%であり、それ以上でもそれ以下でもないです。318/319のどれかを引いただけです。以上。
きっとめちゃくちゃつまらないと思います。
それでいいと思います。

そうやって台からの精神攻撃を防御しつつ、適度な時間、適度なお金で非日常を味わうという形が一番あるべき姿なのかなと思ってます。

こうやって色々書いてると次々と話題が浮かんでくるので、次回を最後にしたいとおもいます(笑)

次回の話題は、
「俺、散々パチ屋にいいようにやられてたけど、少しでも見返してやりたい。どうすれば仕返しできますか」について書こうと思います。

長々と読んでいただきありがとうございました!